みなさん、こんにちは。 ページビューがSmalltalkコードの行数に反比例することを発見してガッカリしている@tomoodaです。ツ
今日はSmalltalkコードの行数を増やす(つまりページビューを下げる)元凶となっているPGeneについて、くっちゃべります。
ピジン言語というものをご存知でしょうか? 異なる言語を話す人同士で会話するために生まれた混成語をピジン言語と呼びます。 そしてピジン言語がそのまま定着して、その土地で母語として話されるようになると、クレオール語と呼ばれます。 出世魚みたいでおもしろいですね。 例えば有名なのは、ハワイのピジン英語です。 ハワイのピジン英語はすっかりクレオール化されています。 また、最近世界遺産に登録された小笠原諸島でも、日本語と英語のチャンポンが話されていたということです。
オレ的には、そういう異文化接触的なものにロマンを感じていて、X言語のAをY言語で実装してみました、的なものは好きなほうです。 その遊び場として、PGene(Programs' Gene、発音はピジン)というパッケージを書いています。
ええ、その通り、PGeneという名前はプログラミング言語のフィーチャー(構成要素、言語仕様上の機能)を遺伝子的にみなして遺伝子を交換してみる、という意味と、ピジン言語の駄洒落です。 以前このブログでも書いた、Squeak / PharoでPython風ジェネレータ、というのも、この流れのお遊びです。 Pharoも1.3がリリースされたことだし、PGeneもそのうち後悔^H^H公開するつもりなので、よろしく。ツ
プログラミング言語の遺伝子と言うと、プログラミング言語の系統樹がありますね。 これには主な影響を与えた言語の木が記載されますが、プログラミング言語の遺伝子交換はこれだけではありません。 言語設計で複数の言語からフィーチャーを取り入れるだけでなく、その言語上のプログラムによっても遺伝子交換は行なわれていると思っています。
というのも、言語というのは、その言語仕様そのものよりも、その言語が実現しようとしている未来像にこそ意味があると思っているし、言語のフィーチャーについても同じく、未来像が大事だと思っているからです。 たとえば、オブジェクト指向は1つのフィーチャーであるかのように思われていますが、オブジェクト指向って何?で書いたように、各言語での「オブジェクト型」の仕様そのものより、「オブジェクト指向が目指している未来」が大事だと思うわけです。 同様に、Haskellのモナドもそうだし、リアクティブプログラミングも同じだと思っています。 静的型付けと動的型付けについても同じで、辞書的な定義よりも、目指す未来で語ってみたいねえと思ってエントリを書きました。
その意味で、ある言語Xで実装されたライブラリAを言語Yに移植しました、というのも遺伝子交換だと思います。 なぜなら、言語Y上のライブラリAには、原実装言語である言語Xが目指した「未来」が反映されているからです。 例えば、SmalltalkのMVCフレームワークは、勢い余って別の名前に替えられたものも含めて、多くの言語で再実装されています。 それら各言語流のMVCフレームワークには、Smalltalker達が見た、「インタラクティブなメディアとしてのコンピュータが実現するであろう未来」も一緒に移植されているはずなのです。 そう、移植は言語のトランスレーションではありません。夢と希望を別の言語で表現することなのですよ。
Smalltalk自体もSmalltalk-80以前のバージョンの進化がありますが、多くのプログラミング言語からフィーチャーを取り入れています。 クラスという概念はSimulaからでしょうし、動的環境としてはLISPの影響が多大でしょう。もちろん、LOGO抜きにSmalltalkは語れません。 そして、Smalltalkという言語の骨格の上に実に多くの概念が発生し、他の言語に移植され、また、他の言語から取り入れてきました。 他の言語に移植された例としてはMVCその他多くのデザインパターンがあり、他の言語からはトレイトなどを取り入れて、現在なお進化を続けています。
そんな風に、色々な言語の遺伝子を交換するのが好きなのですが、その一方で、1つの言語を設計する時にあれもこれもと寄せ集めるのは好きじゃありません。 色々な言語から「あれもいいな、これもいいな、あ、これも便利そうだ!」とばかりにフィーチャーを寄せ集めてしまうと、その言語が目指す「未来」がゴタゴタしてしまい、なんとも興醒めに思えてならないのです。
プログラミング言語というのは不思議な獣で、2つのフィーチャーを組み合わせると、それぞれ単独の2倍以上のスゴさを発揮することもあれば、クソになることも多々あります。 そのクソになった組み合せにまた別のフィーチャーを足すとあら不思議、すごく便利になっちゃいました、というのもあったりしますね。 例えば、Modula-3のobject型とbrandingだけだと、使えねえよそれ、って感じなのが、opaque typeを加えると、なんだか光り輝いたりします。
そんなにフィーチャーのごった煮が嫌いなら、何でPGeneなんて面白がって作るんだい?と不思議に思われるでしょう。 答えは、PGeneが目指しているのは、ピジンだからです。
プログラマは言語をモノにすると、そのプログラミング言語で考え、読み書きをします。 発想がプログラミング言語の中から湧き出てくるようになります。 もちろん、プログラミング言語は母語には絶対になりません。せいぜい頑張っても、第二言語どまりです。 プログラミング言語自体が、自然言語とのピジンとも言えるでしょう。
PGeneがいくらPharo/Squeak上にPython風ジェネレータを実装したところで、それは到底母語的な、発想の源にはなりません。 それ自体がピジンであるプログラミング言語のそのまたピジンにしかならないのです。 これはPGeneに限らず、あらゆるプログラムについても言えると思っています。 だからベースとなるプログラミング言語は、できるだけシンプルなものがよいと思っています。 オレ的には、言語仕様はミニマリストなアプローチがよく、 その言語の話者であるプログラマはそのミニマルな言語仕様の上で多いに多様なプログラミングをすればよいと思っています。
Smalltalkは言語仕様はとてもシンプルです。 そして、現在ではかなり古典的な言語になりました。 Smalltalkerは過去の栄光ばかり話していると揶揄されるようにもなりました。ある意味光栄なことではありますが。ツ
しかし先ほど書いたように、Smalltalkはまだまだ進化し続けています。 ミニマルな言語なだけに、どんどん現代的なフィーチャーを取り入れることができます。 オレはそんなSmalltalkが大好きだし、そんなSmalltalkを越えた向こうのほうにある未来を覗き見るのが大好きなのです。ツ
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